みなさん、おはようございます。

子育ては基本「放置プレー」のこだまんです。

世の中には、世間体を気にして親の考える理想の人間像に近づくように子どもを教育しようとする人がいますが、そんなのははっきり言ってクソ食らえです。

子どもは親の夢を叶えるロボットじゃないし、いつの時代の生き方を子どもに押しつけようとしてんねんって話ですよ。

親が敷いた「レール」の上を走る人生なんて、子どもからしたら絶対に面白くない。息苦しいし、生き苦しい。

自分で考えて挑戦して失敗して改善するというループを繰り返していくから、人生楽しいんじゃないですか。

子どもという列車は親が正解だと思っている「古い人生のレール」では走れない仕様になっているんです。

そもそも車輪がレールに合わないんですよ。もしかしたら車輪すら付いてないかもしれません。

なのにこの上しか走っちゃダメって窮屈すぎるでしょ。

本当は自由に走り回れるのに、小さいころから走るレールを限定されていると、見えないそのレールからはみ出せなくなってしまいます。

親や学校に洗脳されて、そこにレールがあると思いこんで、脱線できなくなってしまいます。

魚を入れた水槽を透明の壁で半分に仕切ると、魚はそれ以上向こうにはいけないと思いこんでしまって、壁をとっぱらった後も向こう側には行こうとしないという話に似ています。

無限の可能性を持っている子どもに親の洗脳された古い価値観で抑制したくないので、ぼくは伸び伸びと好きなことをやらせてあげています。

それが「放置プレー」です。



習い事させたがり症候群


習い事をさせたがる親って多くないですか。なんでなんでしょう。

ママ友がみんな子どもに習い事をさせているのに、自分だけさせていないと不安な気持ちになるんですかね。自分の子どもだけ何もさせてないのは負けてる感じがするんですかね。

ピアノ、ダンス、野球、サッカー、バスケット、英会話などなど、いろいろな習い事があります。

子どもが自発的にやりたいと言ってやってるのなら、大賛成です。応援します。

でも、親が無理やりさせているのなら大反対です。

子どもがいやいややっているのなら意味がありません。時間とお金のムダです。

それを自分が小さい頃ピアノを習いたかったけど習えなかったからと言って、子どもに習わせるなんてバカげてるでしょ。

だから親の夢を叶える装置じゃないんですって。



ゲームを長時間やることは悪いことなのか?


ぼくが初めてやったゲームは「ファミコン」でした。保育園の頃、親と買いに行ったのを覚えています。

親はすぐに時間を制限しようとします。「一日何時間まで」「何時からしかしちゃダメ」「何時までしかしちゃダメ」という具合に。

うちの場合もそうでした。

夏休みなんてファミコンを隠されてましたからね。

押し入れの布団の間に隠してあるのを発見したときは、埋蔵金を掘り当てたような気持ちでした。

でも、ちょっと待ってください。ゲームって長時間したら何が悪いんですか。

体のどこかに悪影響を及ぼすことでもあるんですか。

自分の知らなかったものがこの世に誕生したときに、よくわからなくて恐いのであまり遊ばせたくないってだけでしょ。

ハマったら何がいけないんですか。

ピアノだって野球だってサッカーだってハマった人が一流になって活躍してるんじゃないんですか。

だったらゲームにハマってプロゲーマーになったり実況ユーチューバーになったりして活躍する道もあるでしょ。

それを自分の常識の範囲内だけで考えて、なんか恐いという理由で可能性を奪ってしまうのはどうかと思います。

子どもが好きなことは伸ばしてやったほうが、絶対にいい。だからぼくはゲーム好きの息子に腹いっぱいゲームをさせています。



野球の素振りとゲームの練習


休日は出かけたりしないと、朝から晩までずっとゲームをしているかYouTubeでゲーム実況を見ている息子。今、それくらいゲームにハマっています。

そんなにさせて大丈夫なの?という声が聞こえてきそうです。

ここに野球にハマっていてプロ野球選手を目指している少年A君と、ゲームにハマっていてプロゲーマーを目指している少年B君がいるとします。

A君は寝ても覚めても野球のことばかり考えいます。B君はゲームのことばかり考えています。

A君は少しでもバッティングが上達するように、暇さえあれば「素振り」しています。

B君は少しでもゲームが上達するように、暇さえあれば「ゲーム」をしています。

さて、どちらの子どもが印象がいいでしょうか。

ほとんどの人がA君というでしょう。それはなぜでしょうか。

淡々とこなす「素振り」は苦しくきつい野球の練習というイメージがありますが、楽しみながらやる「ゲーム」は暇つぶしの遊びというイメージだからだと思います。

キツイことを真剣に汗を流しながら頑張って努力している姿は美しく輝いて見えて、ゲームを真剣に楽しんで頭を使いながら手に汗をかいてプレイしている姿は、どんなに頑張っていても遊んでいるようにしか見えない。

どちらもただのイメージです。世間が植えつけたイメージです。やってる本人はどちらもイケてると思ってやっています。

バッティングを上達させるための「素振り」も、ゲームを上達させるための「練習」も、どちらも「努力」です。

といってもこれはなかなか理解してもらえないと思いますが……。

ゲームの練習が野球の素振りと同じように褒められる時代はくるんでしょうか。



まとめ


ぼくが言いたかったことは結局、「親の古い価値観で子どもの可能性を奪うな」ということです。

今は好きなことをしてお金を稼げる時代になりました。ゲームの動画をアップしてお金が稼げるなんてぼくらの親世代は理解できないと思います。

労働の対価としてお金をもらうしか方法がなかった時代から、個人が好きなことにハマって、それをコンテンツにして共感してくれる人を増やすことによって、お金が稼げるようになりました。

これからさらに技術が発展していくと、ますますその傾向は強まっていくことでしょう。

そのときに何をするか?何にハマるか?そもそもハマれるのか?

一つのことにに熱狂できるのも、立派な才能の一つだと思います。

息子の将来が楽しみです。

さーて、チヌ釣りにでも出かけるか。